2009/12/27

修学旅行は終わらない(村崎友)


【タイトル】修学旅行は終わらない
【著者名】村崎友
【発行年月日(初版)】2008年08月25日初版
【登場人物の年齢層】高校生
【概略】修学旅行の最終夜、一馬・ごっちゃん・甚太は、同級生がコピーした先生たちの見回り表を手に、いそいそと女子部屋へ。ところが見回り表はダミー!突然の先生の出現に、慌しく逃げ出す3人。すると廊下の窓に白装束の女の姿が…!?生徒たちの恋愛模様が交錯する、一度きりの修学旅行の夜。おとなしく眠ってなんかいられない!文庫書き下ろし。(「BOOK」データベースより)
【感想】ダヴィンチに掲載され興味を持ったのがきっかけ。
 高校生の修学旅行の最後の夜を舞台として繰り広げられる物語である。若干ミステリー的要素も含まれているが全体的に青春物語でサクッと読めるので息抜きに最適だと思う。
 こういった物語は共学だから可能なもので男子校であった自分にはこの小説の半分以下しか出来事がなかった。女子の存在の有無はこういった行事の内容の濃さに直結すると思う。まあ麻雀はあったものの……
【ランク】5.5
【読書中メモの総覧】なし
【備考】2009年12月26日読了

2009/12/20

禿鷹の夜(逢坂剛)


【タイトル】禿鷹の夜
【著者名】逢坂 剛
【発行年月日(初版)】2000年5月10日初版
【登場人物の年齢層】30〜
【概略】信じるものは拳とカネ。史上最悪の刑事・禿富鷹秋—通称ハゲタカは神宮署の放し飼い。ヤクザにたかる。弱きはくじく。しかし、恋人を奪った南米マフィアだけは許せない。痛快無比!血も涙もひとかけらの正義もない非情の刑事を描いて、読書界を震撼させた問題作。本邦初の警察暗黒小説の登場。(「BOOK」データベースより)
【感想】ダヴィンチに警察のアウトロー小説として掲載されていたのがきっかけ。
 内容は期待していた通り刑事なのにも関わらず平気で暴力団に付け入ったチンピラを抹殺したりする正真正銘のアウトロー刑事を暴力団の視点から描かれた物語である。この刑事の特徴として、冷血、残酷、鋭い眼光を放つ、その他諸々。主人公の心理描写をほぼ排除しているので悪の孤高の人間という感じに読める。非常に憧れる存在として描かれている。(ただ力のある強いものに惹かれるだけなのだが)このシリーズは続編として「無防備都市」、「銀弾の森」、「禿鷹狩り〈上〉」、「禿鷹狩り〈下〉」があるようなので読み続けていきたい。
【ランク】6(暫定)
【読書中メモの総覧】なし
【備考】2009年12月18日に読み終えた。

2009/12/16

糞神(喜多ふあり)


【タイトル】糞神
【著者名】喜多ふあり
【発行年月日(初版)】2009年8月1日(『文藝』09年秋)
【登場人物の年齢層】高校生
【概略】世界中の迷えるベイビーたちを救うため僕らの担任教師は、突然、学校を辞めた。センセーはクソなのか?それとも神なのか。 (「BOOK」データベースより)
【感想】『文藝』2009年秋号に掲載されていたのがきっかけ。
 よく知らないが文藝賞をとった作家が書いたということやタイトルが特徴的ということでもあり多少期待して読んだものの、特に特筆すべき事柄のない凡庸な内容であった。傍観者として世の中を楽しもうとしている自意識過剰気味の主人公による物語で、ラストで自分も小汚いホームレスと変わらないということを表現しているが、物語に面白さがない。次どうなるのかなという期待はくだらないラストで終わってしまった。

 文藝賞を受賞した作品を見てみると『野ブタ。をプロデュース』『メイド イン ジャパン』『人のセックスを笑うな』などが並ぶ。なんとなくこの文藝賞の傾向とか性質がわかった気がする。

追記:アマゾンのレビューを読む限り自分の認識はやや間違ってるようだ。
【ランク】5
【読書中メモの総覧】なし
【備考】2009年12月16日に読み終えた。

2009/12/15

やんごとなき読書(アラン・ベネット/市川恵理訳)


【タイトル】やんごとなき読書
【著者名】アラン・ベネット
【訳者名】市川恵理
【発行年月日(初版)】2009年3月20日
【登場人物の年齢層】晩年
【概略】英国女王エリザベス二世、読書にハマる。おかげで公務はうわの空、側近たちは大あわて。「本は想像力の起爆装置です」イギリスで30万部のベストセラー小説。 (「BOOK」データベースより)
【感想】おそらく朝日新聞書評に掲載されていたのがきっかけ。
 内容は読書の愉しさに気付いた晩年の女王による物語。現代のイギリスの女王や宮殿の明るい諷刺である。
 名前すら知らない作家名がたくさん出てきたり、またイギリスの女王についてや宮殿のシステムをほとんど知らないこともありこの作品がどのくらい秀逸な風刺かは判断できない。作家名やその辺の事情を知っていた方がよりこの物語を楽しめるしかし、読書という行為についての考察は読んでいておもしろい。とりわけ、読書の魅力について(「読書の魅力とは、分け隔てをしない点にあるのではないかと女王は考えた。文学にはどこか高尚なところがある。本は読者がだれであるかも、人がそれを読むかどうかも気にしない。すべての読者は、彼女も含めて平等である。文学とはひとつの共和国なのだと女王は思った。」)にはなるほどな、と頷いた。

 しかし風刺作品は風刺されている事柄についての知識がないとさほど楽しめないな、と思う。この作品は諷刺であり温かい物語でもあるのである程度楽しめるが。日本人による風刺作品を探してみるか。
【ランク】6
【読書中メモの総覧】▼知らない作家が多すぎる。ディケンズとナボコフぐらいしか知らない。▼イーベイが出ていることから時代設定は現代。
【備考】2009年12月15日読了。

2009/12/06

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下(白石一文)


【タイトル】この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下
【著者名】白石一文
【発行年月日(初版)】2009年1月26日初版
【登場人物の年齢層】成人
【概略】スクープ記事は大反響を呼ぶが、上層部から圧力がかかり、編集部内の人間関係もねじれ出す。もつれて膠着する状況のなかで、カワバタは、ある運命的な出会いへと導かれる。まるであらかじめ定められていたかのように。思考と引用をくぐり抜けた後に、「本当のこと」が語られる。現代を描き続ける著者が、小説という表現の極限を突き詰めた渾身作。いよいよ完結。(「BOOK」データベースより)
【感想】下巻は上巻よりも抽象度の高い内容が多かった。物語のラストは非常にきれいだった。
 下巻にてタイトルにある「この胸に深々と突き刺さる矢」の正体について語られている。その文章とその前の文章を引用したいと思う。
『僕たちは今の中にしか生きられない。歴史のなかに僕たちはもうどこにもいないのだ。過去のなかにもこれからの過去にも僕たちはどこにもいない。今、この瞬間の中にしかいない。この瞬間だけが僕たちなのだ。時間に欺かれてはならない。時間に身を委ねたり、時間を基軸にして計画を練ったりしてはならない。そういう過ちを犯した瞬間、僕たちは未然のものとなり、永遠に自らの必然から遠ざけられてしまう。そして、影も形もない希望や取り返しのつかない事柄への後悔や懺悔の虜となり果て、偽りの神の信徒となるほかに生きる術を失ってしまうのだ。
 この胸に深々と突き刺さる時間という長い矢、偽りの神の名が刻まれた矢をいまこそこの胸から引き抜かねばならない。この矢を抜くことで、僕たちは初めてこの胸に宿る真実の誇りを取り戻すことができるのだから・・・・・・』
 上巻の経済格差の問題については理解することが比較的容易かったが、下巻の時間や概念的な抽象度が高まるにつれてただなんとなく鵜呑みにしてしまう回数が多かった。上記の文章についても、真実の誇りが何なのかわからない。やはり一回読むだけでは概念的な論述は理解しにくい。(最近思い始めたのがそのような概念的な話に意味はあるのか?)正直上巻の経済格差についての問題でお腹いっぱいである。経済格差の問題は自分のなかで考察することができたが下巻は・・・
 次は純粋に物語を楽しむ本を読もう。
【ランク】6
【読書中メモの総覧】なし
【備考】2009年12月4日に読み終えた。再読を促す。

2009/12/01

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上(白石一文)


【タイトル】この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上
【著者名】白石一文
【発行年月日(初版)】2009年1月26日初版
【登場人物の年齢層】成人
【概略】「週刊時代」の編集長、カワバタ・タケヒコは、仕事をエサに、新人グラビアアイドル、フジサキ・リコを抱いた。政権党の大スキャンダルを報じる最新号の発売前日、みそぎのつもりで行った、その場限りの情事のはずだった。世俗の極みで生き続けた男が、本来の軌道を外れて漂い始める、その行き着く先にあるものは?白石一文が全身全霊を賭けて挑む、必読の最高傑作。(「BOOK」データベースより)
【感想】朝日新聞に掲載されている書評を読んだのと「僕の中の壊れていない部分」を読んだのがきっかけ。
この作品も「僕の中の…」と同様に、物語の文章と文章の間に筆者の主張が表れた評論的な文章が組み込まれている。ただ「僕の中の…」と比べて物語は物語としてより確立しているので読みやすい。また、この上巻は経済格差について取り上げられているので具体性が高く「僕の中の…」で取り扱っている生と死よりも主張が理解しやすいと思う。
 この本の主張のなかで一番心に残ったのは次の文章である。
「ナカヤマのような男は、例えば自分が秀才だという現実が、彼より勉強のできない多くの人間の力によって支えられている事がわかっていない。美人が自分の力だけで自惚れているようなものだ。美人が美人でいらえるのは、彼女より醜い女性が大勢いるからにすぎない。
 ナカヤマは、オグラのような存在に依存する事でようやく自分の豊かさが実現しているという相対的認識を持っていない。少数のブルジョワは大多数のプロレタリアートによって作られる。その事実を失念したものはいずれ粛正の憂き目にあってしまうのだ。」非常に唸ってしまった。全く持ってその通りである。他にも主張があったが、私はこの文章がかなり心に残った。はやく下巻を読まなければ。
【ランク】-(下巻を読み終えてから設定)
【読書中メモの総覧】なし
【備考】2009年11月30日に読み終えた。