2009/05/06
時計じかけのオレンジ(アントニイ・バージェス)☆
【タイトル】時計じかけのオレンジ
【著者名】アントニイ・バージェス
【訳者名】乾信一郎
【発行年月日(初版)】2008年9月15日(文庫)1980年3月(単行本)
【登場人物の年齢層】15歳
【概略】近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは超暴力。仲間とともに夜の街をさまよい、盗み、破壊、暴行、殺人をけたたましく笑いながら繰りかえす。だがやがて、国家の手が少年に迫る。スタンリー・キューブリック監督映画原作にして、英国の二十世紀文学を代表するベスト・クラシック。幻の最終章を付加した完全版(「BOOK」データベースより)
【感想】名前は聞いた事があったのだが、今まで映画、原作どちらも読んだ事がなかったのだが、ちらっと見た書店のポップを思い出して読んでみた。若者による暴力をこれほど鮮明にかかれたのは読んだ記憶がなく、また、国家によって「善」を強制される事の怖さなどが描かれていて、非常に興味深い本だった。ルドビコ療法という方法によって暴力をしようとすると吐き気や身体に苦痛が生じるようにして犯罪者を矯正するのだが、一種の洗脳によって否応無しに「善」が強制されるのは読んでいてとても苦痛に感じた。また、刑務所教誨師の言葉が後ろの解説に書かれていたのだが、その言葉に感銘を受けたので引用する。「善というものは、心の中から来るものなんだよ。善というものは、選ばれるべきものなんだ。人が、選ぶことができなくなった時、その人は人であることをやめたのだ。」「人は自由意志によって善と悪を選べなければならない。もし善だけしか、あるいは悪だけしか為せないのであれば、その人は時計じかけのオレンジでしかないーーつまり、色もよく汁気もたっぷりの果物に見えるが、実際には神か悪魔か(あるいはますますその両者に取って代わりつつある)全体主義政府にねじをまかれるじんまいじかけのおもちゃでしかないのだ」(A Clockwork Orange Resucked).実はまだこの文章を本文中に見つけられていないのだが、これはA Clockwork Orange Resuckedと呼ばれるアメリカで完全版が再刊されたときについた序文に書かれてあるのかもしれない。
この作品はキューブリックによって映画化されている。この映画は原作の暴力などを忠実に再現されているらしく、また原作の第7章が削除されているそうなので機会があれば見てみたい。
この本を読むにあたって一つ失敗したことがある。wikipediaの「時計じかけのオレンジ」(http://ja.wikipedia.org/wiki/時計じかけのオレンジ)のストーリーの項目を先に読んでしまったことである。かなりクオリティの高いあらすじを読んでしまったことで、しょうしょう「次が気になる」気持ちを殺してしまったことは大きな過ちであり、次からは気をつけたい。
全く持って関係のないことなのだが、この本の解説をしている柳下殻一郎の職業名「特殊翻訳家」というものがどういうものか気になって調べたところ、wikipediaによると、「『特殊翻訳家』の謂いは、普通の翻訳家が手を出さない特殊な文献・文学作品を好んで翻訳することからで、『特殊漫画家』と自称した根本敬から影響を受けた自称である。」と書かれてあった。興味があるので今後彼の訳した本も読んでみたい。
【ランク】7.5
【読書中メモの総覧】▼ハラショー▼特殊翻訳家
【備考】2009年5月6日に読み終えた。再読を促す。
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